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2009年01月16日

ハワイ州誕生50周年


ハワイが正式にアメリカ合衆国の第50番目の州となったのは、1959年8月21日のこと。
アメリカに併合されてから約61年後のことでした。

「ハワイ州」の誕生までの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
1930年代後半に州への昇格運動が本格化し、1940年には住民の意向を問う投票が行なわれ、投票者の2人に1人は賛成であることが明らかになりました。
しかし当時の米国議会では、ハワイが米国本土から離れていることや、人口の多数を占めているのがハワイ人や日系人であることなどを理由に反対する議員が多く、議題として積極的に取り上げられる情況には至りませんでした。

その後、第二次世界大戦で中断されていた立州運動は大戦の終了とともに再び活発化します。
昇格案は1947年、1950年、1953年とたびたび議会に提出されますが、いずれも可決に至りませんでした。
反対の理由は以前と変わらず、「本土から離れている」「政治勢力のバランスがくずれる」などというもので、根底には「ハワイでは白人が少数派」という人種的な問題があったと考えられます。
しかし、こうした反対理由を跳ね返す原動力となったのが第二次大戦における戦地でのハワイ出身者の活躍でした。
これには強硬に反対していた南部の議員たちもその存在を認めざるをえなくなります。

また、1958年にアラスカが49番目の州に昇格したことで、「本土から離れている」という反対理由は説得力を失い、ついに1959年8月21日、ハワイの州への昇格が公式に発表されました。

今年は立州50周年を記念してさまざまなイベントが予定されています。

投稿者 kuewa : 15:11 | コメント (0)

 
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2008年12月17日

ナ・イノア


「イノア」とは”名前”のことです。ハワイアンにとって自分の名前というのは単なる呼び名ではなく、名前そのものにさまざまな深い意味合いがありました。
日本人の名前も、漢字やひらがなの組み合わせによってさまざまな意味を持つようにハワイアンの名前にもさまざまな深い意味合いが込められていました。

彼らの名前の中にはいくつかのジャンルがあります。
何かの記念となる出来事や著名な方や聖人、偉大な場所などの名前を取り込む場合がひとつで、これは主に西洋文化がハワイイに入り込んできてからの考え方になります。
次に家族の中の先祖の名前から名前をいただく場合で、通常は生まれた赤ちゃんが男の子だった場合は父方の先祖の名から、女の子だった場合は母方の先祖の名からいただいて命名するようです。
そのような彼らの名前の中で最も神聖な名前とされているのが「イノア・ポー(Inoa pō )」、ナイト・ネーム(夜の名前)と呼ばれるもので、新しい命が生まれる際に、その新生児の名前は彼らのアウマクア(先祖のスピリッツ)から夢や囁きによって既に決められているといいます。
たとえば、家族の一員が妊娠したとします。そうすると赤ちゃんを身ごもった本人、もしくは家族の中の誰かがその赤ちゃんに関する象徴的な夢を見たり、その新しい命を「~と呼びなさい」という啓示を受け取ったりするそうです。
その夢がとても抽象的な場合は、家族の中もしくは家族の属するコミュニティの中の長老や夢解釈人を訪ねて、もたらされた夢の意味を解釈してもらい、そこから導き出される名前を命名するのだそうです。

 耳元で囁かれることを、「イノア・ウーラーレオ(Inoa 'ǔlāleo)
  誰かが何かのビジョンを見たりサインを見たりすることを「イノア・ホーアイロナ(Inoa hō'ailona)
  先祖の名前を許可の下いただいて名づけることを「イノア・クプナ(Inoa kupuna)
  過去の有名な出来事や英雄伝説等のチャントから名前をつけたり、その他何かから名前をとってつける場合を「イノア・ホオマナオ(Inoa ho'omana'o)
 と呼びます。

このような状況で命名された名を持つ子供は、大体がその名前が持つ意味合いの生涯をおくるのだそうです。
たとえば癒しに関する意味が含まれていればヒーラーに、花に関する名前であればレイメーカーとして のように。

このようにして授けられた名前をその赤ちゃんに命名しなかった場合は、それに対するアウマクアの警告としてその子供に何かしらの不調和や病気、事故が起こるとされています。
また、かのカメハメハ大王のように人生の中で起こるイベントごとに名前を付け加えていくことも多々あるようです。

投稿者 kuewa : 15:26 | コメント (0)

 
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2008年12月11日

ハワイアンの一年



ハワイアンは現在の暦と同じように一年を12ヶ月もしくは12の月に分けていたといわれています。

ハワイアンの人々は現在の私たちのように太陽を中心にしてそれを考えたのではなく、夜空に輝く星々、中でも七つの輝く星々で構成されたプレアデスを中心にして捉えていました。
プレアデスは、「マカリイ(小さな目)」と呼ばれ、彼等はその他のポリネシアの島々の人々やアメリカインディアンと同じようにプレアデスを天界の中で最も重要な星だと考えていました。

マカリイ(プレアデス)が鮮明で美しく輝いていたのであれば雨が多く地盤が緩くなるであろうとされていました。
マカリイは11月の半ばごろ東の地平線に現れます。それから6ヶ月にわたって天界を旅し翌年の6月頃に反対の西の空に沈みます。
このマカリイの出現が一年の始まりであり、ハワイアンの新年の最初の月はそれに呼応して「マカリイ」と呼ばれていました。

一年は大きく「ホオイロ」と呼ばれる昼夜涼しい雨期と、およそ5月ごろから10月半ばまでの日差しが強く貿易風の吹く「カウ」と呼ばれる乾期の2つのシーズンに分かれていたといわれています。

■ホオイロ(Ho'o.ilo) 10月半ば~5月ごろ

 - ヴァレフ(Walehu)11月~12月
 - マカリイ(Makali'i)12月~1月
 - カーエロ(kā'elo)1月~2月
 - カウルア(Kau.lua)2月~3月
 - ナナ(Nana)3月~4月
 - ヴェロ(Welo)4月~5月

■カウ(kau) 5月ごろ~10月半ば

 - イキキ(Ikiki)5月~6月
 - カアオナ(Ka'aona)6月~7月
 - ヒナイアエレエレ(Hinaia'ele'ele)7月~8月
 - マーホエ・ムア(Māhoe Mua)8月~9月
 - マーホエ・ホペ(Māhoe Poe)9月~10月
 - イクヴァ('Ikuā, or 'Ikuwa)10月~11月

投稿者 kuewa : 17:00 | コメント (0)

 
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2008年12月10日

フラ・ノホ


ハワイアンの文化の中で最も神秘的とされる「ノホ」。
一般的に言われる「フラ・ノホ」は”座踊”のことで、古代ハワイイでは威厳と品位がある踊りとされ、コーラニ(kōlani)とも呼ばれました。
これは、王族の足下の前面に座って踊られたフラで、大切なアリイを誉め讃えて踊るときに座って踊るということは踊り手の頭や手・腕がアリイの頭より上に行かないのでふさわしい姿勢だったといいます。
「フラ・ノホ」は王族の目の前で踊るということで、その昔は真価をとても認められていました。
20世紀初頭には女性が腰をふらず足を広げずに踊れる唯一の慎ましいスタイルとして受け止められていました。

もうひとつのノホ・スタイルは神降ろしの儀式としてのものです。
神々を奉るヘイアウの祭壇に建てられたアヌウと呼ばれる白いカパの布が張られた三階建ての神託の塔の上で行われた儀式には選ばれた二人の男性しか踊ることができなかったという記述が残されています。

ノホ(noho)とは、基本的に席や椅子、鞍のことを指し、座る、留まることに関連しますが神や魂が取り憑いた「ハカ:霊媒」のことを意味します。

投稿者 kuewa : 16:14 | コメント (0)

 
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2007年07月03日

HawaiiのTATOO文化


Hulaダンサーをはじめ、ハワイの人々はよくTATOOを入れているのを目にしますがHawaiiのTATOO文化にはどんな意味があるのでしょうか!?

ハワイの入れ墨文化は、19世紀にハワイアンの生活を律していたタブーの廃止とともに、入れ墨を入れる習慣も終わりを告げます。
当時の入れ墨がどのような物だったのかは西洋人達の日記やスケッチ、埋葬されたミイラの様子からしか窺い知る事が出来ません。

男女とも、幼い頃に自分の身分に応じた入れ墨師に、入れ墨を彫ってもらいます。当時は、入れ墨師にもランクがあったようで、その技術にも個人差があったそうです。

入れ墨用の針は、鳥の骨や魚の骨を加工して使用されていたそうですが、針の先端が”櫛”のようにわかれていたため、針とは呼ばず”櫛”と呼んでいたそうです。
この道具に、黒い顔料を浸して肌を刺すと、顔料が皮膚の下で変色して青く残るのだそうです。

王族や貴族にとっての入れ墨は、あくまで権威を象徴する装飾だったようです。
入れ墨の模様は、カバと呼ばれる樹皮製の布地のパターンに似ており、その多くは直線的な幾何学模様だったそうです。

ハワイの入れ墨文化で、最も特徴的なのは、非対称であることです。
顔や体の半分を入れ墨で埋め尽くすと、反対側の半分には一切入れ墨を施しません。
他には、酋長の死を悼む場合にも入れ墨が入れられました。
カメハメハ大王の死去の際には、彼の腹心たちが王の名前を自分の腕に刻み込んだそうです。
また、舌に施す入れ墨も大切な人の死に対する哀悼の表現方法なのだそうです。

投稿者 kuewa : 20:55 | コメント (0)

 
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2007年06月26日

優しい雨 - ハワイの伝説


ハワイに伝わる伝説ですが、
マウイ島の東部に位置するハナという場所にまつわる物語です。
ハナは、その美しい景観から『天国のハナ』と形容されています。
また、ハワイの伝統的な文化を現代に伝える土地としても知られています。

ハナの美しさを最初に見つけたのは、勇敢でいたづら好きな半神マウイと言われています。
マウイは、薄紫に煙る霧のような雨が海を撫でるようにハナの浜に柔らかく降り注ぎ、虹を作り出す様子を眺めているのが好きでした。
娘が誕生したとき、マウイはその一番愛する風景を娘の名前に選びます。
Noenoe Ua Kea O Hana”= 「ハナに降る霧のような優しい雨」という意味です。

ノエノエは幼い頃から海を愛し、美しい娘に育つまで多くの時間をハナの浜で過ごしました。
ある日、彼女はいつものように浜に出かけ、そこで逞しい青年・カウイキに出会います。
カウイキは、メネフネに育てられ海の中で生活する不思議な若者でした。
メネフネ達は、カウイキを海の神「カナロア」からの贈り物と考え大切に育てました。

ノエノエとカウイキは、初めて出会ったその瞬間から恋に落ちました。
しかし、カウイキはいづれ海に帰らなければいけない身でした。

二人は、どんなに愛し合っていたとしても、決して一緒になれない運命だったのです。

カウイキへの想いに苦しむノエノエは、ついに父・マウイにその何事をも可能にする不思議な力でカウイキと永遠に一緒にいられるようにして欲しいと哀願します。

マウイは、ノエノエの瞳の中に彼女の悲痛な決心を見て取ります。
ノエノエの願いを叶えてやると、マウイ自身も愛する娘を失うことになってしまいます。
しかし、マウイはノエノエの一心に頼む気持ちを理解し、その願いを聞いてあげます。

マウイは、カウイキをハナの海岸を見下ろす小高い丘に変え、ノエノエをその名の通り霧のような雨に変えました。
自らの手でそうしたとはいえ、娘を失ったマウイの心は張り裂けんばかりでした。
しかし、マウイは雨になったノエノエが最も愛するカウイキの丘に優しく降るその姿を見ることで自分の心もいずれ癒されることを知っていました。

ハナでは、長い年月を経た今でも、そのころと変わらず薄紫に煙る美しい雨がカウイキの丘を優しく包み込むように優しく降っています。 


カウイキとノエノエの互いを想う気持ちと、マウイの娘を想う気持ちがこうした形で今も見ることが出来るなんて
なんとも温かい気持ちになれるお話しでした♪

投稿者 kuewa : 23:41 | コメント (0)

 
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2007年06月24日

Hawaiiと虹


ハワイ州は、「虹の州」と言われるように、頻繁に虹が発生します。
そんな虹はハワイの象徴ともいえます。
虹はハワイ語でアーヌエヌエ('anuenue)と言います。
また、「神聖な雲」という意味からアオ・アクア(ao・akua)とも呼ばれています。

ハワイでは虹に関する次のような神話があります。
メネフネ(カウアイ島に住んでいたといわれる小人族のこと)の伝説によるとメネフネは、雨降りのどんよりとした空の色を嫌い、”虹”を掲げたと言います。
6色の材料(赤:王家を象徴する赤い羽根のカヒリ/オレンジ:イリマの花/黄:バナナ/緑:シダの葉/青:深い海水/紫:女王のドレス)を使い、強いマナを持つカフナ(聖職者)が混ぜ合わせ、そこにサトウキビの茎を入れて取り出しました。
茎についた雫は太陽の光を受け6色に光り、カフナはその雫を弓に付け空に向かって放ちました。
その雫が雨粒に蓄えられ、その後、雨が降った後には虹がかかるようになったと言います。

ハワイの人々は、虹が出るとその伝説を子供達に話して聞かせたのだそうです。

ハワイが、虹の州と言われる所以は、色々な所から見て取れます。
ご存じのように、ハワイのナンバープレートには虹が描かれていますし、銀行のロゴになったり、ホノルル大学のキャンパスは「Rainbow Campus」と呼ばれています。
また、ホノルルにあるカメハメハ1世の銅像が、ヘルメットのようなものをかぶっていますが、コレは虹を表しているという説があります。
さらに、様々な肌の色の子供達が、一緒に学び、遊んでいる様子から子供達を「虹の子供達」と表現します。

ハワイでは、虹に関して様々な言い伝えがあります。
・ハワイで虹をみると、またハワイに戻れるという言い伝え
・「ナイトレインボー」若しくは"Moonbow"と呼ばれる月の光に照らされてごくまれに現れる夜の虹は、古代ハワイ人の時代から、見る者にとって「最高の祝福」と言われています。
 また、「自分の先祖たちがこの虹の橋を渡ってきて、大いなる癒しや祝福を与えてくれる」と言われています。

また、私も目にしたことがありますが、ダブルレインボーと言われる二重の虹や、「奇蹟の虹」と言われるトリプルレインボーが見られます。

まさに、「虹」は”ハワイの象徴”だと言えますよね。
自然現象である「虹」・・・ハワイならではの豊かな自然と気候がうんだ産物と言えます。
きっと虹にも大いなるマナが宿っているのでしょうね

投稿者 kuewa : 01:44 | コメント (0)

 
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2007年06月16日

ハワイアン・ライブ“アロハ! ディズニー”


Disney's Hawaiian Album「E KOMO MAI」(5/26発売)の発売を記念して
     ハワイアン・ライブ“アロハ! ディズニー”
が開催されます。

日程は、以下の通りです。

■6/16(土)~6/18(月) / 6/22(金)~25(月) / 6/29(金)~7/1(日)
■東京ディズニーランド トゥモローランド・テラス 

Albumに参加したアーティスト達の生の演奏を聴いてみてはいかがでしょうか!


 ▼詳細は下記HPにて
  http://www.tokyodisneyresort.co.jp/ekomomai/

投稿者 tandt : 01:05 | コメント (0)

 
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2007年06月12日

ナウパカの伝説


ハワイの植物には、数々の伝説があります。
今回は「ナウパカ」という花についての伝説です。

このナウパカの花びらは一風変わってます。
低木で、どこにでもありそうなので、見逃しがちですが小さな半円状の花を咲かせます。

この形からなのか、ハワイ各地にはナウパカにまつわるたくさんの伝説があります。どれも、悲しい恋の物語です。

  ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

昔、まだナウパカが円形の花を付けていた頃、プナという娘が些細なことで恋人に腹を立て、手にしていたナウパカの花を二つに裂いてしまいます。
プナは、恋人に丸いナウパカを見つけてこなければ、二度と会わないと告げます。

恋人は、丸いナウパカを探し歩きますが、プナが花を裂いた時ある神が、ハワイ中のナウパカに魔法をかけ、半分の花にしてしまっていたため、丸い花を見つけることはできませんでした。
探すことに疲れ果てた恋人は、失意のうちに死んでしまい、プナがどんなに後悔しても、二度と彼に会うことは叶いませんでした。

また、別の話では
王家の娘ナウパカは、村の若者と恋に落ちますが、身分が違うため、結婚を許して貰えず、二人は共に死を選んでしまいます。
二人の死は、神の怒りを買い、娘は海に咲くナウパカに、若者は山に咲くナウパカに変えられてしまいます。

さらに、
火の神ペレがあるとき若者に恋をします。しかしペレが恋した若者には恋人がいました(この彼女がペレの妹という話もあります)。
そのことを知ったペレは嫉妬に怒り狂います。
ペレの怒りを避けるために、若者は海へ、恋人の女性は山に逃げ二人は遠く引き裂かれることになってしまうのです。

やがて二人が逃げた海と山のそれぞれに小さな白い花が咲きます。
若者が逃げた海に咲いた花はビーチ・ナウパカ、恋人の彼女が逃げた山に咲いた花はマウンテン・ナウパカとよばれます。
それぞれの花はペレによって引き裂かれたように、今でも半分の花を咲かすことしかできないといいます。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

どの、お話しも恋人同士が離ればなれになってしまうものですが、そのことから、この二つのナウパカの花を合わせて丸い花びらを作ると、二人の魂が天国で結ばれ、それを作った恋人達は固く結ばれると言われています。

   ビーチナウパカ
    【ビーチ・ナウパカ】

   マウンテンナウパカ
    【マウンテン・ナウパカ】

ちなみにこの2つのナウパカはなかなか見ることが出来ないそうで、ホノルルのダウンタウンに一箇所だけ隣同士に一苗づつならんでいる場所があるそうです。

ハワイに行ったら是非探して、恋人同士で、ナウパカの花を一輪の花にしてあげたいと思います。

投稿者 kuewa : 23:20 | コメント (0)

 
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2007年06月06日

アウマクア


昔からハワイには”アロハ・アイナ(大地を愛する)”の精神をもつ先住ハワイアン達が、自然やその精霊たちと調和し暮らしてきました。

海や山を愛し、生きものを大切に扱いながら、大地からの恵みに感謝しながら生きてきた場所。
        ----- それがハワイである。

     

ハワイアンには、古から家系ごとに”アウマクア”と呼ばれる守り神を持っています。
単なる守り神ではなく、先祖の魂のようなものが自然のものに姿を変え見守ってるいるといったイメージである。
危険から身を守り、正しい方へと導いてくれたり、気づかせたりしてくれるものとして、大切にしてきました。

生き物から、石、自然現象にいたるまで、ありとあらゆるものに魂が宿るとし、神聖なものとして捉えています。

     

ハワイアン達には、自然と人間がお互いに影響し合いながら成り立っているという感覚が根付いているのです。

動物に出会ったり、雨が降ったり、虹が出ることなど、それらは単なる偶然ではなく、また自らに関係ない自然現象ではなく、
何かのサインであると注意深く観ているのです。

     

ハワイアンの自然に対する姿勢の表れとして”Asing Rule”というのがあります。
草花を摘むとき、どうして草花を摘むのかを話し、摘み取って良いかを尋ねるのだそうです。
木を切るときも、石を動かすときも、なぜ切るのか、なぜ動かすのかを尋ね、確信が持てたとき、はじめて手を加えます。

     

”アウマクア”の宿る自然全体が人々をケアしてくれているのだから、人も自然をケアするという考え方なのである。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

自然すべてが、人々を守るために、何かのサインを送ってくれる・・・宗教観ではないが、やみくもに生態系に手を加えるのではなく、
調和していく。そんな素晴らしい考えを頭の片隅にとどめておきたいものである。

投稿者 kuewa : 18:03 | コメント (0)

 
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2007年06月02日

Hawaiiのカウボーイ


メリーモナークのDVDとか見ていると、ふと疑問に思うことがあります。

Kane auana(男性のモダンフラ)の踊りで、よく「カウボーイスタイル」のモノを目にします。
     Hula Auana

最初は、Hulaにも「こういう振りもあるんだ」くらいにしか思わなかったので、あまり深く追求しなかったのですが、何度となく見るうちに、「何故、カウボーイなの?」と疑問が膨らみました。
カウボーイというと、西部劇のイメージでハワイとはほど遠いイメージがありますが、実はHawaiiにもカウボーイが存在していました。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ハワイのカウボーイ、パニオロがハワイ史に登場したのは1832年、カメハメハIII世の時代です。

当時のハワイには、1794年にジョージ・バンクーバー船長が残していった牛たちの子孫が増え続けていました。
その牛たちを管理し、牧場の仕事をハワイアン達に教えてくれる人間がどうしても必要だったのです。
王は、スペイン・メキシコ系のカウボーイ達をハワイに多数移住させました。
ところが、牛もカウボーイも全く知らなかったハワイアン達はこの入植者たちをなんと呼んでいいのか見当もつきませんでした。
そこでスペイン語で「スペイン人」を意味するエスパニョールと呼ぶうちにそれが「パニオロ」に変化していきました。

パニオロ達は、ハワイアンの憧れの的となり、コロニアル様式の鞍やスマートな乗馬服、華やかで切ない音楽など、パニオロ達の
持ち込んだ文化を全て見習い真似したそうです。

ハワイのパニオロも西部劇のカウボーイ同様、人々の注目を集める粋な男達だったようです。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

毎年6月に、ホノルルでカメハメハ・デーを祝して大パレードが開催されますが、様々な民族衣装を纏った人々の中でもひときわ華麗
なのが、ハワイ中の牧場から集まったカウボーイと優雅なレイで飾りたてた女性騎手パウウ・ライダー達だそうです。

実はハワイにもカウボーイが居たと言うことを初めて知りました。
古き良きハワイの歴史を垣間見れるこのパレード、一度生で見てみたいものです。

■パレードの様子は、以下のページでご覧になれます。
   http://www.aloha-road.com/photo/album10.html

投稿者 kuewa : 00:35 | コメント (0)

 
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2007年05月15日

ハワイ州旗と紋章


ハワイは、現在はアメリカの1つの州ですが、元々独立国家であったことは、みなさんご存じですよね。

ハワイに行ったことのある人は、目にしたことがあると思いますが、ハワイ州の旗・・・「あれっ?」と思った人も多いと思います。
私もそうでした。

なにが!?というと、イギリスの”ユニオンジャック”が入っているのです。アメリカなのに何故?

ユニオンジャックに赤・白・水色の横縞を組み合わせた旗。
コレが、ハワイの州旗です。

      ハワイ州旗
      【 ハワイ州旗 】

8本ある横縞は、ハワイの主要な8つの島を象徴しています。
この旗の制定をめぐっては諸説があります。
有名なのは、カメハメハ大王の外国との貿易(白檀貿易)に関係しているという説です。王権樹立後カメハメハ大王は外国との貿易活動を熱心に推し進めていました。
当時、中国に輸出品を運ぶ計画を立てますが、建国後間もなかったため船に掲げる旗がありませんでした。
そこで、国旗をデザインするよう命じます。完成した旗には、当時ハワイとの関係が深かった英国の旗が組み込まれていました。
この旗が、王朝時代から共和国、属領時代と受け継がれ、合衆国50番目の州となった1959年に、州旗に昇格したのです。

紋章も州旗同様1959年に議会の承認を経て公式に採用されました。
この紋章には下半分を取り囲むようにハワイ語の文章が刻まれています。

      ハワイ州紋章
      【 ハワイ州紋章 】

 ”Ua mau ke ea o ka aina i ka pono
     - 大地の生命は正義によって保たれる

この文章は、ハワイ州の理念を表す銘文で、1843年カメハメハ3世の演説の言葉から引用されました。
この時、ハワイは英国海軍に、一時占領されていましたが、リチャード・トーマス提督の命令で軍は撤退し、ハワイは即刻カメハメハ3世に返還されました。
この事件の際に、王が行った演説の一節が、この銘文となったのです。

現在、この紋章は、ハワイ州政府の建物に必ず備え付けられています。
イオラニ宮殿につけられている紋章は、"The Coat of Arms"と呼ばれる王冠とケープで紋章を取り巻くタイプの物で、1945年にロンドンでデザインされたものです。

      イオラニパレスの紋章
           【 イオラニパレスの紋章 】

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ハワイの州旗や紋章にも、歴史的な背景が刻まれており、3世の残した演説の一節がいまなお銘文として、受け継がれてきている事を知り、ハワイは、本当に自然、aina(大地)を大切にする場所なんだと改めて感銘を受けました。

投稿者 kuewa : 00:51 | コメント (0)

 
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2007年05月09日

マナカード


HAWAIIの話をしていると、ちょくちょく登場する”MANA”という言葉。

MANA”(マナ)とはハワイ語で、「超自然的な[神のような]力、魂、能力」のことで、物や事象、人に内存することもあるとされる非人格的・超自然的・奇跡的な力と説明されています。

ハワイの人々は、すべてのものにマナが宿ると考えており、すべての人は、マナを持つと信じられています。

本日のお題である[MANA CARD]は、一種の占いの道具です。
タロットカードのように、一枚一枚が意味をもち、並びとカードの意味によって、”マナ”が増えるようにハワイのシンボルや伝説のなかにある知恵と結びつけてくれます。

 マナカード  マナカード    
カードの枚数は、44枚です。
古代ハワイアンは4や4の倍数を神聖な数と考えていました。
占いは、ハワイ文化においてとても重要な部分を占めています。
幅広い専門分野の高い教育を受け、訓練を積んだカフナ(聖職者)によってのみ行われてきました。

単に”占う”と言うことだけでなく、自然を観察し、物事に対していろいろな見方をすることで、”マナ”が流れる可能性や機会を得られるよう導き、意識を高めてくれるのだそうです。
     

ハワイの人々は、意識を高める一つとして「言葉」を使います。
ハワイの言葉には、”カオナ”と呼ばれる口頭伝承があります。表面的な意味とは別に隠された意味があるのです。
この手法は、物語・歌・チャント、ハワイアンソングによく用いられています。
   

作者が、ほんとうに伝えたかったことは何か?
言葉を音節ごとに分解し、個々の音節を結びつけ、意味を探ることで、物事の本質に対する洞察力をもたらすと考えられています。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

ハワイ文化は、観光産業の発展と共に大きく変貌しています。
 ”文化は生き方をあらわすもの

伝統的なハワイ文化は、力強い反面もろい所もあります。過去から延々と伝わってきた自然や伝統を、表面だけ捉えるのでは裏にある意味を理解できたら、もっともっとハワイの事が好きになりそうです。


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投稿者 kuewa : 10:31 | コメント (0)

 
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2007年05月05日

ハワイと石


ハワイ諸島がまだハワイ人だけのものであった頃、すなわち19世紀初頭にカメハメハ大王がハワイ諸島を統一する頃までは、
ハワイ各島では、クー、カネ、ロノ、カナロアの四大神をはじめ、「八百万の」神々、精霊が信仰されていました。
カメハメハ大王も守護神として、戦いの神クー・カイリ・モクを厚く信仰していました。

それらの神々や精霊に祈りを捧げる場所として、ヘイアウ(神殿)が建設されました。
建設にあたっては、その土地の大酋長の命令で、カフナ・クヒクヒ・プウオネと呼ばれる技術神官が設計を行い、酋長の治める土地の
人達総出で建設にあたりました。
大きなヘイアウは、熔岩を城壁のように積み上げて作られたために、多くの人手を必要としたといいます。
カメハメハ大王は、予言に従ってハワイ統一祈願のためのプウコホラ(鯨の丘)・ヘイアウという壮大なヘイアウを建設したときには、
平民階級のみならず、貴族階級、そして大王自らもが石を運んだと言われています。

ただ、古代ハワイの宗教は何も大がかりなヘイアウだけを舞台としたものではなく、もっと深く人々の生活に根ざしたものでした。
一般の家屋にも、「ポハク・オ・カネ」(創造神カネの石)と呼ばれる大きな石が据えられているのが普通でした。
この石の周りには通常、ティーの木が植えられ、もっぱら男性の手で、豊穣の祈りなどが捧げられたといいます。
ポハク・オ・カネとヘイアウの中間の規模のものとして、海辺や川沿いには、「コア・クウラ・ホオウル・イア」(略してコア、と呼ばれる)という祈祷所がありました。
そこには、魚の形をした石が置かれ、漁の神であるクウラに祈りが捧げられました。また、多くの場合、コアは2つ対になる形で設置され、片方は漁の女神、ヒナヘレのためのものでした。
その他、カヌーの安全航海など様々な目的で祈祷所が建てられましたが、いずれもその中心にあったのは「石」(ポハク)であり、
古代ハワイの人々が、霊力(マナ)の宿りどころとして、いかに石を大切にしてきたかがわかります。

カメハメハ大王は、実在の人物ですが、神格化された言い伝えも多くあります。
その1つに”ナハ・ストーンの伝説”があります。
現在、ハワイ島ヒロの市立図書館前にある3.5トンもある巨石ですが、「ナハの石を持ち上げた者は天下を制する」(ただし、トライして
失敗した者は頭を割られる)と代々言い伝えられていました。
この石を、15歳のカメハメハが見事に持ち上げたと言われており、後年言い伝え通りにハワイを統一します。

ほかにも石にまつわる話をいくつか紹介します。
ワイキキのクヒオ・ビーチ、ホノルル警察分署のすぐそばには「カフナ・ストーン」「ヒーリング・ストーン」とも呼ばれている「魔法の石」があります。
この石は、16世紀にタヒチからハワイにやって来た4人のカフナが、各々のパワーを石の中に封入したという伝説が残されており、4人のカフナたちは、この優れた”ヒーリング・パワー”でハワイの人々を癒し、タヒチに帰って行ったといいます。

----- 世界の人々が、ハワイに訪れるのは、この「魔法の石」の癒しのパワーに引き寄せられているのかもしれません。

オアフ島中央部に広がるパイナップル畑の中に、王族の女性達が子供を出産したと言われる場所があります。
その場所には、いくつもの石が点在しており、中でも最も大きな石は、母親が出産しやすい姿勢で座れるように掘られているそうです。
この石は”バースストーン”と呼ばれ、ここで生まれた子供は、強く賢くなると信じられていました。
現在では、子供を望む女性がこの石に触れると子宝に恵まれると言われ、たくさんの供え物が捧げられています。

マウイ島・ナハイナ港の岸壁の海側(図書館の裏手)の波打ち際にいくつかの石が集まっているところがあります。
この中で、特に大きく目立つ椅子の形をした「ハウオラ・ストーン」があります。
昔、ハウオラという女性が、敵から身を守るために神によって石にされたという言い伝えがありますが、
他にも「この石に座ると子どもを授かることが出来る」とか「海に向かってこの石に座り、寄せる波に足を洗わせると、病気や怪我が治った」とか「生まれた子どものへその緒をこの石の上に置くと、その子は強く健康に育つ」などの言い伝えがあるようです。
この石はハワイの中でも、ひときわ強いヒーリング・ストーンだそうです。


ハワイでは、ヘイアウのような生命に関係する場所にある石を勝手に動かしてはいけないというカプ(タブー)があるそうです。
石には、その土地の命が宿っているとされるからだそうです。

投稿者 : 01:29 | コメント (0)

 
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2007年04月25日

Hawaiiの諺から学ぶ


Hawaiiにも伝統的にたくさんの諺がありますが、敢えて好きなものを1つあげなさいと言われたら、私は迷わず、これをあげます。

 I ka 'olelo no ke ola, i ka 'olelo no ka make.
 (:死は言葉にあり、生は言葉にあり)

Mary Kawena Pukui(メアリ・カヴェナ・プクイ)の言葉です。
※この方の名を、ご存じの方は、かなりのHawaii文化通と言っても過言ではありません。

Hawaii語が堪能で、KUMUでもある彼女は、Hawaii語辞典のBasicと言われている『Hawaiian Dictionary』の編纂をはじめ、
ハワイの歴史や伝統に関する著作を生涯50冊近く著し、またビショップ・ミュージアムの資料館に眠る数々のハワイ語文献を発掘し、
翻訳します。
特に、19世紀に収集された伝統的メレを系統立てて分類することで、今日フラ・カヒコで用いられる一連のメレの再発見に大きく貢献した人物です。

さて、上の諺ですが、ハワイ先住民の言葉に対する伝統的な考えを如実に表しています。
そのまま解釈すると、「言葉使いに気をつけなさい」という戒めにとれます。
ハワイでは、言葉そのものに力が宿っていると考えられているのです。
つまり、この諺は、「言葉は人を傷つけることも、逆に癒すこともできる」ということを意味しています。

宗教的Meleに関して、こんな話があります。
一字一句間違えずに伝承しなければいけない。
もし一音節でも間違って神の不興を買うような単語になってしまったら、歌い手は天罰で死ぬであろう

言葉それ自体が、文字通り力を持つという考え方は、脈々と受け継がれ現代でもMeleの中に、そしてHulaの中に息づいています。
ハワイ語には、同音異義語が数多くありますが、それらの意味を間違えて使ってはならないとされています。

つまり、意識的に或いは無意識のうちに、自分または相手に対して害を成すような言葉を発する可能性があるのです。

この諺の真の意味は、
言葉を人を傷つけるために使うのではなく、傷ついた人を癒すために使いなさい
という戒めであると考えられます。

人を癒す為の言葉」・・・コレこそがハワイでの適切な言葉の使い方であるといえます。


実は、日本も「言霊の幸ふ国」と言われ、ハワイ同様『言葉は幸せをもたらすもの』と考えられているのです。
そんな日本の民であることに誇りを持って、”日本語”を、そして”言葉”を大切にしていきたいと思います。

投稿者 : 23:12 | コメント (0)

 
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2007年04月24日

ハワイアンミュージック


ハワイアンミュージックというと、ウクレレ等を使った演奏で軽やかでさわやかなイメージがあって、一種スピリチュアルなジャンル
といえます。
聴いていると和むというか、癒される感覚を皆さんも感じてるのではないかと思います。

歴史をひもとくと、現在のハワイアンミュージックといわれているものは、白人社会の影響をうけたもので、ハワイ独自のものでは
ありません。
今や、ハワイアンミュージックには欠かせない楽器・ウクレレにしても、外部から持ち込まれた楽器をハワイの人々が改良し今日に
至っています。

では、本当のハワイアンミュージックとは何か?

ハワイには、元々文字が存在しなかった事は、周知の事実です。
当然ながら音楽としてのキチンとした旋律はなく、独特の様々な楽器を使って日頃から音楽を楽しんでいました。
イプ・プイリ・ウリウリ・イプヘケ・イリイリなどの打楽器やホラ貝(プー)が、その代表ですが、これらの楽器を使って楽しむ音楽は
”生活の一部”だったのです。

フラをやられる方々には、おなじみの楽器ですね。

敢えて言うなら、”日常生活の中で奏でられる音楽”・・・ コレこそがホントのハワイアンミュージックなのかもしれません。

ここで、一つの楽器を紹介します。
ハワイには、昔から”ウケケ(ukeke)”と呼ばれる楽器が伝わっています。

ukeke
         【 ukeke 】

ウケケは、50cmほどの細長い板に、ココナッツの繊維で作った弦を2~3本張ったもので、一方の端を唇で固定し弦をかき鳴らすと、
口が共鳴室となって大きな音が出ます。
上手な演奏者だと、音に言葉をのせることができたそうで、恋人に愛の告白をするための「愛の楽器」とされていたようです。
(愛を告白するための「愛の楽器」・・・愛を告白する相手がいれば奏でてみたいものです。 )

ハワイの人々は、こうして楽しんできた伝統と楽器を、ウクレレなどの楽器を使った新しいスタイルの曲の中でもキチンと引き継いで、
上手に使っていますが、
一部では、ウクレレやスラックギターで奏でられる音楽を「ハパ・ハレオ・ソング」と呼び、白人が作った英語で歌われるハワイアンの
音楽を「偽のハワイアン音楽」だと批判する声も少なくないそうである。

 [Writen by kuewa

投稿者 : 23:28 | コメント (0)

 
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2007年04月14日

ココヤシ


ココヤシがなかったら、ポリネシアの島々はきっと無人島であっただろうとさえ言われるほど、ポリネシアの人々にとって欠く事の
出来ない重要な植物でした。

   ココヤシ

ハワイでは、島が豊かだった事もあり、さほどココヤシに依存していませんでしたが、生活の中の至る所にココヤシで作られた物を
見ることが出来ます。

新鮮なジュース、ジュースを取った後の果肉から作られるココナツ・オイルとココナツ・クリーム、殻のまわりを被う繊維は、よりあわせて
強いロープになり、葉は、バスケットや敷物、皿等に編み上げられ、幹は、フラの伴奏に使うドラムの台に加工されます。

ハワイ州の木は、ククイの木ですが、どちらかというとココヤシの方が、知名度は上のような気がします。

ココヤシの木の寿命は、人間と同じくらいで、子供が生まれたときに植えたココヤシの木は、その子が年老いて死ぬまでの間、
生活に必要な様々な物を与え続け、一緒に枯れ果てると言います。

そういう所から、太平洋の島々では、ココヤシの木を「生命の木」もしくは「天国の木」と呼ぶそうです

大地の恵みと共に生き、一緒に生涯を終えるなんて・・・
なんとも素敵なお話しだと思いませんか。

 [Writen by kuewa

投稿者 tandt : 00:46 | コメント (0)

 
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2007年04月11日

ハワイアンキルト


ハワイアンキルトの歴史
19世紀初頭、アメリカ人宣教師がハワイに上陸した際、宣教師の妻達がアメリカ風のパッチワーク(ピースワークを基礎とするもの)を伝えたことが始まり。
-----
庭先で、パッチワークを教えているときに木々の間に干した白いシーツに、レフアの木の影が写り、その美しい姿から、白い布にハワイの草花をデザインして乗せ、パッチワークをした上にキルトして作り始めたのが、『ハワイアンキルト』の始まりだと言われています。

宣教師達は初め王族などを中心に布教活動を行いますが、宣教師と家族の乗った船に王族の女性を招き、アメリカンキルトを伝授したと言われています。
最初はハワイの王族の女性を対象に行った裁縫教室の一環であったようです。
これは、ハワイ王朝独特のアンティークキルトが存在することからうかがい知ることができます。

元々ハワイには、「布」は存在せず、「裁縫」するという概念はありませんでした。
※布の代用品として「パンの木」から採取される「タバ」やラオハラなどの木の皮(繊維)を用いていました。
 洋服や紙もこの「タパ」を叩き、薄く伸ばして作られていました。またカゴやマットなども編んで作っていたと言われています。

西洋文化では、パッチワークという端切れを縫い合わせて作る廃物利用的なキルトが主流でしたが、ハワイには”端切れ”というものがそもそもなかったため、西洋スタイルのパッチワークは作る事ができませんでした。
そこで、大きな布をわざわざ切ってつなぎ合わせるという手間を省き、大きな1枚の布を使って作る独特なスタイルのキルトが作り出されます。

やがてそれは1枚の大きな布を4枚または8枚に折り畳んだものを、ハワイ固有の花や葉などのデザインに切り抜き、もう1枚の大きな布に重ね合わせるというハワイ独自のキルトになっていったようです。

また、ハワイでは、暖をとるといった実用的な目的ではなく、芸術品・技術品として今日までその伝統が継承されています。
これは、もともとハワイは温暖な気候であり暖をとる必要はなく、また島国であるため潮風によってキルトを傷めてしまうという土地柄からきています。
作られたキルトは、ずっとしまって保管され、特別な時にだけキルトがお目見えしていたようです。

ハワイアンキルトの特徴
 ハワイアンキルトの特徴は、なんと言ってもハワイ独特の2色使いです。
 何故2色かと言うと、アメリカ宣教師がハワイに訪れた時代は、まだ豊富な色の布が無く、また宣教師達達の船荷が限られていたため赤と白のファブリックのみが持ち込まれたことからきているようです。

 伝統的なハワイアンキルトは、このように鮮やかな2色使いで、アップリケ部分と下地の部分との色彩の対比が美しく、ひとつのモチーフを上下・左右対称にデザインし一枚の布を、下地となる中綿を入れた布に縫い合わせていき、モチーフとなる柄の輪郭に何回ものステッチを入れたものです。

これは、エコー(こだま)キルティングと呼ばれる技法(ハワイ語では「フムラオ」)で、打ち寄せる波のように一定のリズムでアップリケの周囲を取り巻いていきます。
別名、コントア(輪郭)キルティングとも呼ばれています。

ハワイアンキルトの言い伝え
ハワイアンキルトは、作る人が自分でデザインし、出来上がるまで他人にはみられることなく作られていました。
長い時間をかけて作られたキルトにはキルターの魂が宿るとされています。
あるキルターは出来上がったキルトと一晩一緒に寝たあと人にプレゼントするといいます。
また、自作のキルトには名前がつけられ、家族や親戚間で代々受け継がれていたそうです。

このように、ハワイアンキルトはいわばハワイのお家芸のような文化であり、代々各家庭の中で女性から女性に受け継がれて行くものであり、それは愛する家族や仲間に贈るためのものでした。
作った方が亡くなるとその人の作ったキルトも一緒に埋葬してしまうのが習慣で、古い時代に作られたキルトはあまり多く残っていないようです。

タブー
キルトに描かれる模様にはちょっとしたタブーがあります。
キルトのモチーフに人物を使ってはならないというものです。
これは、昔の人たちはその人物がキルトから抜け出して危害を与えると考えていたからです。

ただし、人物をモチーフにしたデザインのキルトは存在します。
ビショップ・ミュージアムやイオラニ宮殿などで見ることができますが、これらに使われているモチーフは
ほとんどが宮殿を中心に描かれており、その周りに護衛官がキルティングされています。

モチーフ
一番ベーシックなモチーフはブレッドフルーツ(ハワイ語でULU:「パンの木」)です。
「パンの木」の実は「ポイ」と呼ばれハワイの人々の主食であり、幹や枝は、カヌーやサーフボードに用いられるなどハワイの人々の生活に欠かせないものでした。
目に見える種を持たずに、切り木で繁殖するこの木は、「幸運」「成長」「繁栄」などの意味を持ち合わせ、昔からハワイの人々に親しみ深い植物であり、
ビギナーキルターがこの図案を作る事は「縁起がいい」と言われ、”実りある今後のために”という意味があるのだそうです。

他に、ハイビスカスやプルメリア・パイナップル・モンステラといった植物が用いられています。
また、ホヌ・タコ・イルカなどの動物のモチーフも多く見られますが、これら動物や人のモチーフは縁起が悪いとされていたようです。

これらの植物等を図案にしたキルト以外に「フラッグキルト」と呼ばれるものがあります。
当初のキルトは王国や自然信仰の象徴的役割であったため、王族紋章・宮殿・王冠や精霊が宿る植物がモチーフとなっていました。
ロイヤルカラーである「赤」と「黄」の2色は王家のシンボルカラーであったため、昔は王族しか使えないカラーだったそうです。

その後一般庶民間で作られるようになると、ハワイの美しい自然や植物をモチーフとして、伸びやかにデザインされたハワイ独特の色鮮やかなキルトが次々とうまれていきます。
1800年代後半にハワイ王朝は滅亡しアメリカ合衆国の領土となりますが、その歴史の遍歴をキルトに残したと言われ、ハワイの人々にとって特別な意味を持つものだそうです。

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投稿者 tandt : 00:15 | コメント (0)

 
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2007年04月10日

ハワイのミネラルウォーター


ハワイは、当然ですが、各島とも周りを海に囲まれた孤島です。
1000年近い長きにわたり、ハワイでは泉や小川から離れて暮らす場合、新鮮な水を手に入れることが出来ず、
海水混じりの不衛生な水を飲まねばなりませんでした。
残念なことに、当時のハワイアン達は、自分たちが純度の高い巨大な水源の上に暮らしていることに気づいていませんでした。

20世紀に入り、地質学や水路測定学が進歩し、ハワイの地下に巨大な天然貯水池が存在することが明らかになりました。
ハワイの島々には、空の雨雲を捕まえる高い山々と溶岩ガスが噴出した後に残される大空洞が地下深くに存在します。
それが、ハワイに住む人々に大きな恵みをもたらすことになります。

ハワイ周辺の海では絶えず水蒸気が発生しておりコレが暖かい湿った空気となって、貿易風に運ばれハワイ上空へとやってきます。
そしてハワイ山脈にぶつかり上に押し上げられ、雨雲となって雨を降らせます。
高山地帯に降った雨は、小川となって山肌を流れ落ちるだけでなく、火山岩質のハワイの山々にある無数の溶岩ガスの噴出孔
(多孔性の溶岩)に開いた空気孔に吸収され濾過を繰り返しながら地底へと落ち、地下に巨大な水源を形成しているのです。

この水源は断面が凸レンズの形をしていることから、通称「レンズ」と呼ばれています。

レンズが海面より低い位置に形成された場合、海水が流れ込む事がありますが、比重の高い海水は、真水のしたに沈むため
水源が汚染されることはありません。
山の中腹で、浸食によって塞がれてしまった溶岩孔に穴をあけると新鮮な泉が湧き出します。
これが、オアフ島・ワイキキやホノルルの過密な人口を支える上水道となり、住人の喉を潤しているのです。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ハワイでは、ハワイ原産の様々なミネラルウォーターが売られています。
メネフネ、ハワイアン・アイルズ、ハワイアン・ウォーターなどなど。
ハワイに源水があると知らなかったので、これらの水は、作られたものだとばかり思っていましたが、実はちゃんとした
ミネラル・ウォーター”だったのです。

水も、元々自然によってもたらせるものですが、気候や地質など様々な要因が重なって作り出される”ハワイの水”
単なる偶然の産物とは思えない気がします。

 [Writen by kuewa

投稿者 tandt : 02:18 | コメント (0)

 
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2007年04月04日

「ALOHA」と「MAHALO」


ハワイ語の中でも最も大切にされている言葉・・・”ALOHA”と”MAHALO”についてです。

Mahalo:
 Ma =「~の中に」
 ha =「息」
 alo =「~の前に」

という3つの言葉が合わさってできています。
意味は、「息=魂の中にいる」
深く掘り下げると、「あなたが魂の中にいますように」という意味になるそうです。

ハワイ語には、それぞれいろんな意味があり、とらえ方によって解釈が異なってきますが、

ハワイ語で最初に思いつく言葉といえば、ほとんどの人が”Aloha”と答えると思います。
さらに、ハワイ好きな人なら、それぞれに文字に意味があることもご存知でしょう。

 Alo : 「~の前に」
 ha : 「息」

 ハワイでは「ha(息)」は、命や魂をあらわすもの
 つまり、"Aloha"は
 「魂がそこにある」=「あなたが魂の中にありますように」
 という意味になります。

また、「こんにちわ」「さようなら」「愛してる」のほかたくさんの意味で使われています。
このように、現在では、もともとこの言葉が持っている深い意味に関係なく、一般的に軽い挨拶として使われるようになっています。

が、本来この言葉は相手に対して本当に敬意を持っていない場合には使用してはいけないとされていました。
また、決して軽々しく、誠意を持たずに乱用してはいけないとも言われていたそうです。

”Aloha”と”Mahalo”の本当の意味は、ハワイでハワイ語のマナを感じながら生きてきた人にしかわからないと言います。

”Aloha”という言葉自体が「魂を持ち、心をこめた本来の使われ方をしたときこそ強いパワーが宿る」のだそうです。

かのリリウオカラニ女王が、”Aloha”について次のような表現をしています。

「ネイティブ・ハワイアンが、出会いや別れの際に”Aloha”というとき、それは自分以外のものの命を感じています。
命があるということは、すなわちマナがあるということ。
すべてのマナには、善良さと知恵が備わっています。

そして善良さと知恵の備わっているものは、すべて神の創造物なのです。
つまり、"Aloha"を口にする前に必ず神の力を感じていることになります。

それは、決して難しいことではありません。
なぜなら命はこの世のいたるところに存在しているから。
木々や草花、海、そこに棲む魚たち、鳥やピリ(ハワイに自生する植物)の草、空にかかる虹、そして石にいたるまで・・・
この世のすべてのものに魂があり、それ自体が神であり、そしてそれこそが"Aloha"なのです。

"Aloha"は、『楽しみ』『幸せ』『豊かさ』です。

"Aloha"は見返りを求めない真の愛です。

そして"Aloha"はその言葉自体にマナを宿しているのです。」

 うーん、深い・・・^^;

さらに、”Aloha"は、その一文字づつにも意味が込められています。

 A: Alaka'i(指導力)
 L: Lokahi(統一)
 O: Olu'olu(礼儀)またはOia'i'o(誠実)
 H: Ha'aha'a(謙虚)
 A: Ahonui(忍耐)

これは、ハワイ人がハワイ人であることにおいてもっと大切なものなのだそうです。

ところで、ハワイには『Aloha Sprits Law』という法律があることをご存知ですか?
「ハワイに住む人々は、アロハスピリットにのっとって行動する義務がある」
といいます。
法律とはいえ、罰則があるわけではありません。

しかし、この法律はハワイの人々に「誇りと力を与え、心の支え」になっているそうです。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

今日、挨拶すらろくに出来ない日本人が多い中、自国の文化を愛しその中に生きることの意義をしっかり理解し、自分達の存在価値を見出しているハワイの人々

たかが、言葉ひとつですが、面白おかしく弄り回して意味不明な言葉を生み出す日本人と違い、自国の伝統を受け継ぎ、そこに込められた意味をしっかり理解しているんですね。

私たちは、日本人だからとハワイの文化なんて関係ないなんて思わず、そこに脈々と受け継がれてきた文化を少しでも理解していけたらいいなぁと思うお話でした^^

 [Writen by kuewa

投稿者 tandt : 00:57 | コメント (0)

 
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2007年04月03日

ホクレア号航海プロジェクト


優れた航海術
ハワイをはじめとした太平洋の島々では、古代からカヌーによる遠洋航海が盛んでした。
風と海流だけを動力に数千キロもの旅を続けていました。
当時はまだ「コンパス」などの近代的な航海計器は存在せず、航海士は星の位置や波・風の変化を読み取りながら航路を割り出す
スターナビゲーション」なる伝統航海術を駆使して船を操っていたそうです。

ハワイに最初に移住したポリネシアの人々も同様にカヌーを使って渡ってきたとされています。

ホクレア号の誕生
ハワイの島々にポリネシア文化は定着しますが、18世紀後半に西洋文化が押し寄せ古来の文化習慣とと共にカヌーによる航海も
近代化の影響を受けることになります。

しかし、1970年代に入り、ポリネシアをルーツとした伝統文化をもう一度見直すことで、ハワイ人の誇りを取り戻そうとする運動が
高まります。
こうした流れの中で祖先がいかにして海を渡って来たのかを学術的に検証するために1975年に作られたのが「ホクレア号」です。
(”ホクレア”とは「幸せの星」という意味です。)

そのホクレア号で伝統的な航海術を使い、タヒチ~ハワイ間をはじめ様々な遠洋航海が行われ、ハワイの人々は民族の誇りを
呼び起こされるきっかけとなりました。

ホクレア号は、現在までに地球4周分に相当する距離を旅してきました。
当初は、伝統的な航海術の検証をする目的でしたが、その検証が終えた今、民族の誇りを次世代に伝える「教育の場」としての
役割を担っています。

  - ホクレア号3つのキーワード
   ・伝統航海術の伝承
   ・環境の保全
   ・アロハ・スピリッツ

そのホクレア号が、今年5月~6月頃、日本を訪れる予定になっています。
是非、皆さんもホクレア号を応援しましょう!!

■ホクレア号航海プロジェクト(航海ブログも掲載されています。)
http://www.gohawaii.jp/hokulea2007/

投稿者 tandt : 00:10 | コメント (0)

 
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2007年04月02日

ハワイの独立


みなさん、ご存じの通り、ハワイは元々独立した国家でした。

中央ポリネシアのマルケサス付近から最初に人類が到達して以来外界との接触は無く、ポリネシア人種の血統を保ちながら独自の政治・経済体系、言語、宗教、舞踊などを育み、ハワイ固有の人々として個性を身につけていきます。

1778年にイギリス人ジェームス・クック率いるイギリス探検隊により西欧文化が入りこみ、紆余曲折の末、1795年専制君主制国家=ハワイ王国が誕生します。

クック来訪以来、欧米諸国・中国・日本などから多くの人々が移民をはじめ、ハワイに近代文明をもたらし、近代化が急速に進み、19世紀半ばに立憲君主制国家へと変貌を遂げます。

しかし、一方で外部から持ち込まれた疫病などで、当時30万人と推定されている先住ハワイ人の人口は、わずか100年ほどの間に4万人まで減少してしまいます。

長い年月をかけて育んできた民族文化は、他人種・他民族との共存を余儀なくされ、やがて吸収されてしまいます。
また、国家そのものも、1893年にアメリカ軍の支援を受けた帰化欧米人に支配され、1898年には、アメリカの海外領土となります。

こうして政治・経済の変化に伴い、先住者の子孫達は、様々な面で他の人種や民族に比べて低い位置へと追いやられてしまうのである。

※海外領土:ハワイから選出された議員には、連邦議会での発言権はあっても、議決案への投票権はない。しかし、アメリカ領土であるため、合衆国憲法が適用される。

こうして、貧富の差が激しくなり、ワイアエナ地域に典型的に見られる貧困・犯罪・家庭崩壊・家庭内暴力・健康問題などの問題は、現在に至ってもなお、ハワイ先住民の生活に暗い影を落としているのである。

アメリカの州の中で、ハワイと同様に独自の民族を形成していたインディアン、アラスカ・イヌイットは、武力により戦い、自治政治を勝ち取っています。すなわち、アメリカと対等に話し合える権利を持っているのである。
対して、ハワイの人々は、争いを好まず、平和的に話し合いで主権を獲得しようとしたが、アメリカは、この自治権をハワイにだけ認めていない。
つまり、先住民族としてのステータスはなく、アメリカのいいなりにならざるをえない状況なのである。

近年、こうした状況を解決しようとする活動が行われ、主権の回復と優先保障を得て「国家内国家」(完全な独立ではない)の形成を目指しているという。

先住民族と言っても、既に他人種との混血血統により、その定義すらあやふやになりつつある中、自分たちの権利獲得の為に
活動されている方々がいるということ、我々がイメージしているハワイの裏で、貧困にあえいでいる方々がいるという事実をしっかりと頭に刻んでおかなければならないと思うのである。

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投稿者 tandt : 01:13 | コメント (0)

 
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2007年04月01日

ハワイの誕生~動植物の生態系


「ハワイの誕生」について、”へぇー”と思う記載があった。
それは、動植物に関する生態系についてである。

ハワイというと、トロピカルなフルーツや色鮮やかな植物、南国に見られる珊瑚礁に熱帯魚というイメージを連想する。

しかし、約1500年前にハワイ先住民の祖先が人類で初めてハワイ諸島にやってきたときから、既にあった植物は、ココナツだけだそうである。

マンゴー・パパイヤ・パイナップル・コーヒー・パッションフルーツなど18世紀に白人が到来してから持ち込まれた物だそうだ。
また、タロイモも起源は、東南アジアで、インドネシアを通って外から運ばれてきたそうである。

同様の気候帯に生息する、動植物が著しく欠落しているのだそうだ。
ドングリ・マングローブなどは存在せず。は虫類も、ウミガメを除いて生息していないのだそうだ。
蛇やワニもいない、昆虫もアリ、コガネムシ、セミ、アゲハチョウ・ゴキブリなどもいないそうである。
(ゴキブリは、後世持ち込まれて、今はうようよ居るそうだが^^;)
そういえば、あれだけ温暖に感じるのに、何故かセミの鳴き声がしないですよね。

ほ乳類も、元々生息していたのはオオコウモリだけで、豚や犬・ネズミなど、ポリネシア人が意図的に持ち込んだものらしい。
珊瑚の生息も同緯度の他地域に比べると発達が限られていて、魚もハタやフエダイの一部深海種を除いてハワイには到達しなかったそうである。
現在見られる熱帯魚も、1970年代に水産資源としてタヒチから導入されて物だそうだ。

逆に、ハワイにしか見られない固有種の割合は極めて高いそうで、ハワイ独自の自然形態を形成しているのだそうだ。

太古から自然が豊かだと思っていたハワイですが、実は人間の手によって作られたものだったとは・・・。

うーん、ちょっと複雑な気もしますね。 [Writen by kuewa

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2007年03月31日

ハワイ諸島の誕生


ハワイ諸島(だけではないと思いますけど)は、火山活動によってできた島々です。
およそ500~100万年前にミッドウェイ環礁ホットスポット(マグマ溜まり)の火山活動によって噴出した溶岩が隆起してできました。
現在、大きな8つの島と、130近くの小島や岩礁からなるハワイ州ですが、すべての島々が一度に誕生したのでは無いそうです。

地表のプレートは一年に約8センチのスピードでゆっくり北西方向へと移動しています。
噴火はプレートのもろい部分がホットスポットの上を通過する際に起こるため、島は西から東の順に出来たと考えられています。

オーストラリアの地質学者が調査したところ、
1.カウアイ島(380 - 560万年:地球上で最西端に位置する地域のひとつ) →
2.ニイハウ島(個人所有で、住人のほとんどが純粋なハワイ人)→
3.オアフ島(220 - 340万年)→
4.モロカイ島(130 - 180万年)→
5.ラナイ島→
6.マウイ島(80 -130万年)→
7.カホオラウェ島 →
そして、最後にハワイ島(70万年未満:合衆国最南端)の順で誕生したそうです。

ハワイの島々は地質年代的には非常に若く、日本で一番若い地域である四国・四万十川下流域一帯の約500万年前と比べると、日本列島のもっとも若い地域と同じ年代に入ってから、太平洋上に姿を現したことになります。
地球誕生からすでに46億年、地質年代的にみればハワイ諸島はまだ生まれたての赤ちゃんと言うことになります。

気が遠くなるような年月の話なので、赤ちゃんと言われてもピンと来ませんが・・・

また、現在ハワイ島の南東沖合48kmに”Loihi海山”が、深海底から3kmも溶岩を積み上げて成長しているそうで、数万年後には、この海山がハワイ新島としてお目見えするであろうといわれているそうです。

何とも、壮大な浪漫を感じる話です。

ところで、
ハワイの8つの大きな島の誕生には、次のような話があります。

 ポリネシアの漁師で半神半人のマウイ(マウイ島の名前にもなっている) が、陸地を釣り上げます。
 しかし途中で釣り糸が切れ、釣り上げた陸地が落ち8つに割れてしまう。
 この割れた8つの陸地がハワイ諸島である。

と言うお話しです。
ハワイの神話・言い伝えの中には、ハワイ誕生にまつわる物がたくさん残されています。

ここで、少しだけ地理のお話し・・・
プレートテクトニクス理論(難しくて、詳しく説明できません)によると、ハワイ諸島は4000万年後、千島カムチャッカ海溝へ沈んでいくンだそうです。
千島カムチャッカ海溝は、日本の千島列島の東側にある海溝ですね。
とおーーーーーーーーーーーーーーい未来にハワイ諸島は、現在の日本の近くまで移動してきて沈んで行くのだそうです。

ココマデ来ると、もうちんぷんかんぷんです(苦笑;
何度、読みかえしてもなかなか理解できません・・・
地殻? 外殻? マントル? 対流? ・・・地理をしっかり理解してる方ならわかる話だと思いますが^^;

実際、地殻運動によって、少しづつ大陸が動いているという話は聞きますが、そんなに動くものなのか?と思いつつ”地球”って生きてるんだなぁと思いました。

さて、最後に頭を切り換えて、「ハワイの名前の由来」と「意味」を書いて今回はおしまいにします。

■ ”ハワイ”の名前の由来
・ポリネシア人が海を渡り、たどり着いた島で、彼らが始めて見たこの島を、「ハワイイア」と呼んだことから「ハワイ」の名になった。
・最初にハワイを発見したタヒチ人酋長の名前が「ハヴァイ・イロア」で、自分の名前をつけた。
 (ちなみに彼の娘の名前は「オアフ」でオアフ島の名前の由来か?)

特に、可能性が高いのが、現在の西サモアに『Savaii』という島があり、ここがハワイの名の由来であるという説です。
これは、ポリネシア語とハワイ語の語変換の約束事を当てはめると、”Savaii”が”Hawaii”となるからだそうです。

■ ”ハワイ”の意味
「はるかなる故郷の島」「先祖の家」「地下世界」「彼岸」「神のいる場所」

Writen by kuewa

投稿者 tandt : 03:03 | コメント (0)

 
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